ゆりりんのブログ

鬼滅の刃「童磨」考察、つれづれなるままに。

童磨考察X(旧Twitter)サルベージ⑦

ゆりです!体調を崩してご無沙汰しておりました。

それにしても各地で猛烈な暑さが続きますね…

こんなときは童磨の血鬼術が羨ましくなります。実際浴びたら涼しいどころか

ものすごく冷たいのでしょうけれど😅

 

さて、今日も過去のTwitterでの童磨考察をまとめていきます。

去年の4月頃から始めたのですが、思い返すとまあ我ながら、結構呟いてるなーと。

あまりたくさん載せて長文になっても読みにくいと思いますし、読みやすさを考えると一回につきせいぜい十個くらいですね、呟きを載せられるのは…

それでは、今日もお付き合いください。共感して頂けると幸いです。

・食うだけではなく恋愛ごっこしたり女の生首を取っておいて愛でたりしたのは
全部恋愛感情を知りたかったためのシミュレーションだったのだろう
何か愛着が沸くだろうと思いながら

 

・原作の童磨の思想を考えながら、人食い救済の根底にある思想を考えると「辛いのに生きるのは無駄だから死んだ方が幸せ」「無駄に土にかえるより俺の栄養になった方がまだ意味がある」「俺はそうして強くなり鬼の使命を果たし無惨さま(神)に尽くす」というわけで「血を肉をしっかり受け止め高みへと導いている」という思考になる

───極論ですが、簡単に言うと「弱い人間は鬼のために命を捧げよ」という宗教なのですよね。

彼が、栄養価の高い女の肉に執着したのは強くなり無惨への使命を果たすこと、忠誠を見せることが大きかったのかも知れません。

でも、人間を哀れだと見下してるけど悪意を持って害してやろうという恨み憎しみの感情とは無縁なので救ってやろうという気持ちは本物

ただその救済の行き着く先が「ともに楽しく生きてゆこう」ではなく人間にとっては「惨死」であるので童磨にしか旨味はないんですよね…。無限城にいた信者の女性も、食べられるのを嫌がってしのぶに助けを求めていたし。

童磨の目は「人間」には向いておらず「鬼」にしか向いていなかった。
無限城でも陽気な鬼を演じてはいたが、ある程度本性をさらけだす気楽さはあったでしょう。普段は「優しい教祖様」の仮面を被っていますからね。

 

出展:吾峠呼世晴・作「鬼滅の刃」より



・童磨の物語は、簡単に言うと「おかしい親がおかしい子供(しかも色素障害という先天異常あり)を生んでその子はメンヘラばかりにすがられるおかしい環境で育ちましたという話」───なのでしょうか。