こんにちは!百合です。今回は童磨とその父親についての考察記事を書いてみました。
童磨の父親といえば、極楽教の初代教祖にしてその権力を悪用し、救いを求める女性信者たちに次々と手を出していた最悪の男。
童磨も父親の「女性を軽視し、自分のために利用する」という歪んだ価値観はしっかり受け継いでいますが、不思議なことに「父親のように性的に女性を消費する」ということはしませんでした。(代わりに「美味しくて栄養があるから」とムシャムシャ食べていましたね……)
原作者の吾峠呼世晴先生は、なぜ童磨を父親と同じような「色欲の男」にしなかったのでしょうか?
今回は、その理由を4つの視点から徹底考察していきます!
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理由1:童磨の本質が「性欲」ではなく「食欲(同化)」だから
童磨というキャラクターの最大の特徴は、「生まれつき感情が完全に欠落していること」です。
「性欲」や「色恋」というものは、他者への執着や、快楽への依存といった「人間臭いドロドロした情動」から生まれるものです。
もし童磨に生々しい性欲を描いてしまうと、彼は「ただの女好きな、人間味のある悪党」になってしまいます。
吾峠先生は童磨を「人間の生々しい欲望を超越した、本当の意味での不気味な怪物」として描きたかったはず。だからこそ、性的な消費ではなく、
* 「栄養があるから食べる」
* 「自分の身体の一部にして救ってあげる(同化)」
という、無機質でサイコパスな「食欲」に特化させたと考えられます。
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理由2:少年誌(週刊少年ジャンプ)としての表現の限界
『週刊少年ジャンプ』は、小中高生もたくさん読む全年齢対象の商業誌です。
作中では「首が飛ぶ」「肉体がバラバラになる」といった過激なバイオレンス描写は多く許容されていますが、「性的搾取」や「性暴力」の直接的な描写は、コンプライアンス(倫理的)に厳しく制限されます。
童磨が死に際に両親を回想するシーンで「信者の女に次々手を出す色狂い」と軽く説明する程度が少年誌の限界であり、童磨本人に生々しい性的な悪行をさせてしまうと、作品の掲載自体が危うくなるリスクがありました。
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理由3:「遊郭編(堕姫・妓夫太郎)」との差別化
『鬼滅の刃』において、「性」や「人間の生々しい欲望・美醜」を象徴する舞台は、すでに遊郭編で徹底的に描き切っています。
上弦の陸である堕姫と妓夫太郎の兄妹は、まさにその性的な搾取や、人間の情念の被害者でした。
もし童磨編にまで同じようなベクトルの「性的な生々しさ」を持たせてしまうと、キャラクターのテーマが被ってしまい、上弦の鬼それぞれの個性が薄れてしまうため、あえて外したのだと思われます。
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理由4:しのぶ・カナヲとの因縁を「精神的」な戦いにするため
童磨の最大の対決相手といえば、胡蝶しのぶや栗花落カナヲといった女性の剣士たちです。
もし童磨が、しのぶの姉・カナエや、伊之助の母・琴葉を「性的な対象」として消費していた場合、彼女たちの戦いは「性暴力への復讐」という、より一層ドロドロとした生々しい愛憎劇になってしまいます。
吾峠先生は、この最終決戦を、
* 感情を持たない虚無の鬼(童磨) VS 姉の遺志を継ぎ、怒りや優しさの感情を燃やす人間(しのぶ・カナヲ)
という、極めて精神的・哲学的なテーマのぶつかり合いにしたかったのだと考えられます。だからこそ、童磨の狂気は「捕食(命の奪い合い)」という純粋な形に留められました。
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まとめ:父親を超えた「純粋な虚無の怪物」
童磨は父親を反面教師にするほどの感情すら持っていなかったため、「女性は自分のために利用していい存在だ」という父親の歪んだスタンスだけをそのまま脳内に記憶しました。
しかし、吾峠先生がそこから「性欲」を引き算して描いたことで、童磨は父親のような下俗な男にはならず、「性欲すら持たないことでさらに不気味に進化した、純粋な虚無の怪物」として完成したと言えます。
この引き算の描写こそが、童磨というキャラクターの底知れない恐怖と魅力を引き立てている理由ではないでしょうか!
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みなさんは童磨と父親の関係についてどう思いますか?
ぜひコメント欄で教えてくださいね!

