はい、童磨考察の遍歴、二回目です。
今回は童磨の言う「救済」に関する思いも、ちょこっと。
童磨の言う「救済」、純粋に救済のためより強くなるため美味しいからという打算もあるしなあ。
童磨の救済は一方的で「これが俺の慈悲、愛なんだ」と言っても単に肉体のみの繋がりでしかない。
相手の意思は一切無視の童磨個人の自己満足。
しかも彼には心からの慈しみという「感情」がない。
しのぶを吸収する前に「俺と共に永遠を生きよう」と一方的でしのぶの意思を一切無視する言葉だったのが、最後の告白では「地獄に行かない?」としのぶの意思を確認するようにお伺いを立てていたのが象徴的。
鳴女にも「もしよかったら」とお伺いを立てているのが、仲間への敬意を感じられる。
そして彼、公式ファンブック2「鬼殺隊見聞録弐」にて、
「金にせよ地位にせよ恋にせよ、欲望で身をもち崩すさまはあまりにも馬鹿馬鹿しく見えたが、どういう感覚なのか興味を持っていたらしい。金も地位も半不死の肉体も持っていたが特に何も感じないので、相手を替えて度々子供の恋愛ごっこのようなものをしてみていた」
という情報があります。
自分の心臓の幻視感を把握して「これが恋というやつかなあ」というセリフは、このように常に恋を意識していないと出てこないセリフでしょうね。